【3】5年経って初めて芽生えたビジネスマインド。思い切って教室を法人化!:羽織愛さんインタビュー
ママ仲間の小さな会から始まった英語教室でしたが、気づけば外国人も講師として何人も参加、サークルは巨大化していました。ところが、2011年に東日本大震災が起こると、彼らが原発事故を恐れて故郷に帰ってしまったそう。これではクオリティの高い英語教育の環境とはほど遠い……そう考えた彼女は、一念発起してビジネスの勉強を始めます。そして2013年、遂にサニーバニーを法人化し、赤羽教室を開校。起業に際して、苦労はなかったのでしょうか。
外国人講師たちが一斉に帰国。一気に6名もの講師を失い、継続の危機に
―5年も続いた親子英語サークルですが、それが収入にならないことにはもどかしさも感じていたのではないでしょうか? ようやく起業を決意するに至ったきっかけは?
「実は起業のタイミングは2011年の東日本大震災にあったんです。あの時の原発事故を受けて、私たちのサークルでお願いしていた8人の先生のうち、6人の先生があっという間に帰国してしまった。当時、彼らに『愛も危ないから日本を出たほうがいい』と言われたのを覚えています。呆然としましたね。先生がいなければレッスンも続けられないですから」
夫婦仲も険悪な状況に。仕事も家庭もうまくいかず、人生最悪の時期を迎える
―その頃は家庭生活もうまく行っていなかったのでしょうか。
「もう、どん底でした。仕事がないので、『もし本当に離婚したら、私と娘の生活はどうなるんだろう?』ということが重くのしかかってきました」
―そうですか……。確かに、それまでの5年間では全く利益を出せていなかった。
「そうなんです。貯金はゼロ。娘を連れて家を出たら、賃貸アパートを借りるのにもお金がいる。親に話すと、『サークルなんかやっているからダメなんだ。スーパーの仕事とかを探しなさい』と言われました。『そうか、離婚して自由を得ても、収入がなければ好きな英語教育もできないんだ』と、遅ればせながら気づいたんです」
起業を決意させたのは、“世界一の授業”をやっているという自負と娘の存在
―羽織さんはどうしても、英語教育を諦めたくなかったんですね。
「はい。私はサークルを始めた当初からクオリティにはこだわっていました。私は世界一の授業をやっている、という自負もあった。だからこそ、私はこれを生涯続けていきたい、と思ったんです。ただ、本来の私はどちらかというと雇用されて活躍できるタイプ。本当は就職したかったのですが、働きに出ることで娘と離れるのは嫌でした。そうなると、自分でやるしかない。それが起業のきっかけでした」
―それまでは法人化することは全く考えていなかったのですよね? どうやって起業まで漕ぎ着けたのでしょうか?
「ビジネスというもの自体、ずっと苦手だし嫌いだったんです。ただ、その時点ではもう、なりふり構っている場合ではなかったので、とにかく片っ端からビジネス書を読みまくりました」
ビジネス書や経営者の自伝を読み漁って勉強、2013年に遂に赤羽教室をオープン
―ビジネス書を読むことで勉強したんですね!
「はい。若林俊輔先生には信頼できる言語学や教育学、英語教育の専門書を読むことの大切さを教えていただきましたが、ビジネス書もそういう感じで読み始めました。そしたら、なんとこれが面白かったんです。夢中になって、何百冊と読みました」
―何百冊も読むとはすごいですね! 羽織さんの情熱の大きさがわかります。
「いろんな経営者の方にも会いに行きました。自分が今までロックアウトしていたビジネスの世界は、本当は豊かなコミュニケーションのある人間らしい世界だということがわかって、ますますハマっていきましたね。今は英語教育とビジネスが趣味、と言えるくらいです」
【まとめ】
その後、サニーバニーは2013年に法人化し、赤羽教室をスタート。最終回では、さらに羽ばたく羽織さんのこれからについて伺います。