【1】いざという時は自分で稼ぐ力が必要……働きながら起業について学んだ会社員時代:島袋尚美さんインタビュー
安定した生活を望んでいた島袋さんは、社会人1年目でリーマンショックを経験。「いざというときに自分で稼げる力を付けた方が良い」と危機感を覚えました。ビジネスに関するアイデアも経験も勇気もない島袋さんでしたが、自身の周りで起業している人たちの話をたくさん聞き、「メンター」と呼べる人に出会いました。そして、会社で働きながらメンターの事業を手伝い、少しずつ起業のノウハウを身に付けていきました。
安定志向だった社会人1年目、リーマンショックを経験し危機感を覚える
—事業を始めようと考えたきっかけを教えてください。
「社会人1年目の時に経験したリーマンショックです。当時、私は証券会社に勤務しており、大きく影響を受けました。1ヶ月の収入が、一気に20万円ほど下がった先輩もいましたね。周りの先輩たちはいわゆる「アラサー世代」で、まさに人生これからという時。大企業に勤めていても、いざという時は何が起きるか分からないと痛感しました。
リーマンショックが起きるまでは、起業しようにも自分にビジネスの才能はないと思い込んでいたので、会社にしがみついていました。しかし、厳しい現実を目の当たりにして、何かに身を委ねているだけでは相手の意向次第で振り回されてしまうと危機感を覚えまして。20代は自分磨きの延長線でビジネスについて学んで、万が一の時に自分で稼げる力を付けておくことが必要だと考えました」
—「ビジネスの才能はない」と思っていらしたことに驚きました。なぜ、そのように思い込んでしまったのでしょうか。
「個人的なイメージですが、事業を立ち上げている人は「どうしてもこういうことをやりたい」「世の中にこういうサービスを提供したい」など強い思いを持っている人が大半ですよね。私は、特に何かやりたいことがあって事業を立ち上げたわけではありません。特殊なパターンだと思います。
私が社会人に成り立ての頃は、公務員の父親と大企業の社員である母親の影響もあり、どちらかというと安定志向の人間。やりたいことに向けて突き進むというよりは与えられた仕事をコツコツとこなすタイプで、自分でビジネスを立ち上げようという考え自体ありませんでした。しかし、リーマンショックを経て考えが変わりました。当時25歳でしたが、10年後、自分が1人で生きていけるぐらいには、稼ぐ力を付けておかなくてはならないと思い直したのです」
アイデアも経験も勇気もない……起業している人たちの話をたくさん聞いた
—ビジネスに関する知識は、どのようにして身につけたのでしょうか。
「ビジネスについて学ぼうと思っても、いざとなると、どうすれば良いのか全く分かりませんでした。悩んだ結果、周りで起業している人を探して手当たり次第に話を聞きに行きました。さまざまな人の話を伺う中で出会ったのが、24歳で起業したシステムエンジニアの方。私は「メンター」と呼んでいます。そのメンターは会社員をしながら起業の準備を進め、事業も上手く軌道に乗っていました。私自身、急に事業を立ち上げたいといったところでアイデアも勇気も経験もお金もありません。メンターと同じようにするのが現実的だと考えて、会社を辞めずに土日でビジネスについて勉強したり、事業の立ち上げ準備を進めました」
まずはメンターの事業をサポート、その後に一部を担う形で独立
—メンターの下では、何をしていたのでしょうか。
「簡単にいうと「見習い」です。メンターの 事業を手伝い、
—会社員とバイトの兼業から始まったわけですね。具体的に、どのような業務を担っていたのですか。
「当時、メンターは人材育成の事業をしていました。私は採用関連やお金回り、社員教育など人材関係の部分を担当。私がひとり立ちできるまでになったタイミングで、部署をまるごと任される形で独立しました。人材育成が、私の人生における最初の事業ですね」
≪まとめ≫脱安定志向で起業に向けて邁進、「メンター」との出会いで才能が開花
社会に出た頃は安定志向だった島袋さんですが、リーマンショックを機に自身の力で稼ぐ力を身につけようと決意。そこから「メンター」と呼ぶ恩師に出会い、起業やビジネスについて学び、独立までに至りました。会社に勤務しながら、メンターの下でバイトという名の「修行」を積むことは簡単なことではなかったかと思います。起業後、島袋さんは「ない」と思い込んでいたビジネスの才能を発揮し、次々と事業を展開していきます。次回は、起業後の島袋さんについてお話を伺います。