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【2】結婚のために就職を諦め、専業主婦をしながら英会話サークルをスタート:羽織愛さんインタビュー

インタビュー

恩師の急死に打ちのめされた彼女ですが、英語教育の研究を続け、大学院の時に大手予備校への就職の内定を得ます。ところが、勤務地は東京ではなく静岡。どうしても早く結婚したかった彼女は、その内定を辞退し、24歳で専業主婦に。それでも英語教育の夢は諦めきれず、近所のママ友を集めて親子英語サークルをスタートさせました。

大手予備校への就職が内定するも、結婚を理由に辞退。夢の実現を直前で見送る

―大学院の修士課程を終えられる頃には、就職先から内定が決まっていたそうですね。
「はい。長く英語塾の講師をしていた経験が買われて、一部上場している学習塾への就職の内定をいただいていました。ただ、入社すると静岡の本店に行かなくてはならないということは決まっていたんです。ところが、その後結婚することになる当時の恋人が『遠距離恋愛は続かないから、行かないでほしい』と。それで、内定をお断りしてしまったんです」

―英語教育を恵まれた環境でできるチャンスだったはずですが、なぜ恋人の一言で就職を辞めてしまったのでしょうか?
「その時の私はとにかく“結婚ありき”でした。小さい頃の夢がお母さんになることだったということはすでにお話ししましたが、私はとにかく彼と結婚がしたかったんです。そんなこんなで、24歳で結婚。ただ、その時は結婚するとどういうことが起こるかは全くわかっていませんでした」

「日本のお嫁さん」の現実に打ちのめされそうになった結婚生活

―結婚した時、漠然と「いつかは英語の先生になれる」と思っていたのでしょうか?
「なんとなく、英語の先生は一生の仕事だと思ってはいました。ただ、私はそれまで既婚者の友達もいなかったため、日本の結婚の現実を知らなかった。結婚してみると昔ながらの考え方の人で、女性は仕事なんかするな、友達と旅行にも行くな、という感じ。友達も親も、私が出かけると『ご主人大丈夫?』といった具合で、ああ、日本のお嫁さんってこういうことなんだ、と思い知らされました。」

―では、その時は英語教育どころではなかったのですね。
「そうですね。娘が生まれてからは特にそうでした。子育てをしながら仕事しちゃだめなのか、と思ったら、あなたと結婚したかったから就職も諦めたのに……と恨み節が浮かんでくることもありました」

英語教育への熱い思いを諦めきれず、ママ友を集めた英語サークルをスタート

―それでも、子どもの頃からの夢、若林俊輔先生との出会いで大きく膨らんだ夢は諦めきれなかったのですね。
「はい、そうなんです。その頃、私自身は正直暗闇の中でした。子育てには全く苦労を感じなかったのですが、仕事を取り上げられるのは苦痛でしたから。独身で仕事をしている友達はいきいきして見える。それに比べて自分は旦那を待ちつつ、話すのはママ友だけ。かといって、主人の協力なくして仕事に出るのはハードルが高すぎる」

―そこで、親子英語サークルを立ち上げた。
「はい。専業主婦をしながら1回500円のサークルを始めることにしました。これが今のサニーバニーの始まりです」

高い評判を受けて希望者が殺到。それでも年商は何と1万8000円!?

―それが何年のことですか?
「2006年くらいでしょうか。手探りでのスタートでしたが、始めてみると子供たちがものすごく喋るようになるので、どんどん新しいお客さんが来てしまって。当時からクオリティは最初からすごく高かったと思います。サークルだけれど、いただいたお金は講師などに払っていましたし、経営者としての視点はゼロだったので、いつまで経っても収入は増えませんでした。2011年の時点の年商が1万8000円くらいだったと思います」

【まとめ】
次回は、遂に起業を決意したことで、どう羽織さんの人生が動いていったのかを伺います。

LITORA編集部

自分らしい生き方を見つけたい。大好きなものに囲まれる生活をしたい。暮らしや仕事、オシャレも美容も恋愛も“自分らしく心地よく”を軸に自分のライフスタイルに合わ...

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