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【1】胸が高鳴る方を選んできたら、香りとつながっていた:小泉祐貴子さんインタビュー

インタビュー

大手化粧品会社にて、香りによるストレス緩和効果をテーマとした研究に携わり、その後は外資系香料会社で香りの開発やマーケティングを担当、と、常に香りに関わってきた小泉さん。現在は、オフィスや店舗などに香りをプラスした空間のプロデュース、その人の魅力を引き出すフレグランスコンサルティング、香りを活用したい企業へのコンサルティング、大学講師、さらにはルームフレグランスの開発・販売…と活躍は多岐に渡ります。1回目のインタビューでは、香りに出会った子供時代から起業する40代はじめまでを振り返っていただきました。

自然と香りに惹かれていた子ども時代

―ずっと香りに関するお仕事をされてきましたが、昔から香り、例えば香水やルームフレグランスなどがお好きだったのですか?
そうですね。無意識にだと思いますが、幼稚園児の頃から香りを楽しんでいた記憶があります。
生まれてすぐに父の転勤があり、小学校に入るまでは自然に囲まれた環境で育ったんです。ですから幼少期の香りの記憶には、自然の香りがたくさん残っていて、庭で芝刈りをした時の匂い、雨が降ったあとの土の匂い、シロツメクサやレンゲで花冠を編んでいる時の花の香り、採れたての無花果や蜜柑をほお張った時の美味しそうな味と香り…などがその時の情景とともに思い出されます。

―香りが好きだと自覚したのはいつ頃でしょうか?
小学校低学年の時には、良い香りがするものが好きという自覚が出始めていました。いい香りのする消しゴムやボールペンなどを見つけてはお小遣いで買い集めていました。
両親がつける香水の香りも好きでしたね。お出かけ前に身支度をしている時に、家に香水の香りがし始めると家族でお出かけをするんだとちょっと嬉しい気持ちになったことを覚えています。

―小泉さんも香水をつけていましたか?
中学校に入学するときに、両親がクリスチャン・ディオールの「ディオリッシモ」という香水をプレゼントしてくれたんです。海外では「My First Fragrance」と言うそうです。その時の私には香水をつけて出掛けるような場所はまだありませんでしたが、もうすぐ私も香水をつけるようになるんだなと、大人の世界への扉が少し開いたような気がして、背すじが伸びた気持ちになりました。今でもその香水は大切に持っていますよ。

ワクワクするものを追いかけていたら、いつの間にか香りの世界へ

―子どものころから香りが好きで、香りに関する仕事についたんですね。
結果的にはそうなったのですが、ピアニストを目指した時期もあったり、宇宙飛行士になりたいと本気で思っていた時期もあったり。香りは目指すものというよりも、普段から隣にあるちょっとウキウキするもの、という感じでした。

大学を出て、資生堂に就職して研究者という立場から「香りと人との関り」について様々な角度から考えることになったのが、仕事として香りを意識した最初です。研究成果は、グレープフルーツの香りで痩せることを訴求したボディケア製品の開発にも繋がっていきました。
その後、ご縁があって外資系の大手香料会社フィルメニッヒに転職し、香りの世界の広さと奥深さを実感するとともに、ますます香りの世界に魅了されてしまいました。

フィルメニッヒは香料業界の1位2位を争う会社で海外出張も多かったので、とても忙しく充実した日々を過ごしていたのですが、30代半ばにふとこれから先の人生を考える機会が訪れたんです。その時に新たに挑戦してみようと思ったのが、社会人向けの通信大学で「ランドスケープデザイン」を勉強する、ということでした。ランドスケープデザインというのは、ざっくり言うと植栽を用いて風景をデザインする仕事で、造園から街作りまで幅広い分野に渡ります。

―会社員をしながら勉強をするのは、大変だったと思います。
通信大学で学ぶうちに、ランドスケープデザインの中に私の得意分野である香りを取入れてみたら、今までにない面白い分野が開けるかもしれない、というアドバイスを周りから頂くようになりました。
その先の生き方を模索していた時でしたので、改めてそれまでの自分を振り返ってみることにしたんです。すると、今までしてきたことがすべて香りというキーワードでつながっていることに気が付いたんです。

自分が一番ワクワクするものを選んできたのですが、これはもしかするとこの先も私にとって「香り」が人生のキーワードになるのかな、という予感がしました。
その気づきがあって、一念発起して会社員を続けながら何とか時間を捻出して大学の博士課程に入り、香りと風景について学びを深めることを決心しました。

博士課程の研究は、時間的にも体力的にもとても大変でした。でも、大変素晴らしい恩師と出会うことができ、学ぶことがとても楽しくなっていったんです。

―やりがいを感じていたのでしょうか?
とてもやりがいがありました。私が学び、形にしようとしていることは誰もやっていないことだったんです。そこに、得意分野である香りという要素も加わり、情熱を持って学べました。「一生懸命やるしかないぞ!」と奮起していましたね。

全力で走り続けた先に見えてきた、道

 

―勉強内容について教えていただけますか?
空気のあるところには必ず何らかのにおいや香りが存在しています。日本人は古くから香りに対してとても繊細な感覚を持っているのですが、それまでの研究の多くはお香などのモノに関するものでした。私は香りを感じるヒトの側に興味があり、ランドスケープデザイン(風景のデザイン)にも興味があります。そこで、日本人が自然の風景の中で香りをどう感じるのかをテーマとすることにして、まずはその感性のルーツを探ろう、と京都へ行き、伝統的な日本庭園を舞台として研究を始めました。
例えば、五月の連休前後には美しい藤の花、梅雨の時期にはクチナシが、甘やかで豊かな香りを漂わせ、雨上がりには土や草の匂いが立ち上ったりしますよね。それが季節の楽しみでもあるのですが、都心で生活をしているとそれがほとんど見当たらなくなっていることに危機感を覚えたこともきっかけです。これからの街づくりには、そういう場所を作ってほしいし、残していきたい。植物が持っている個々の香りの特性を活かして、日本人にとって快適な香り風景を作るための基礎研究とするべく、「匂いの風景論」という博士論文を執筆しました。

―大学で学んだことは、その後の仕事にはどのように影響しましたか?
博士課程が終わったときに、大学での講師のオファーをいただきました。それで、当時勤務していた外資系香料会社に相談したところ、スイス本社での規定もあり残念ながら外部で講義をすることは認めてもらえませんでした。香料会社での仕事にも大変やりがいを感じていましたし、上司や仲間にも恵まれていましたので、散々迷ったのですが、最終的に、博士課程で学んだことを活かして前に進んでみようと大学講師を引き受けることにしたんです。

―会社は退職したのでしょうか?
退職しました。とても大きな決断でしたが、私にとって「香り」は社会や人とつながる窓であり、それはどんな形であれきっとこれからも続くのだろうと確信したんです。手放したものは大きかったかもしれませんが、これから先は、香りをライフワークとしていこう、と覚悟が決まりました。

≪まとめ≫人生を振り返ってビジネスアイディアを掘り起こす

今までを振り返ってみると、子どものころから好きだったことを今でも続けているということはありませんか? 仕事の共通点を探してみると、それが自分の好きなものだったということもあるかもしれません。小泉さんはふと立ち止まって振り返った時、香りに関する仕事を自然と選び続けてきたことに気がついたことで、自分が進む道を見つけました。過去に選び、してきたことを掘り下げてみると、小泉さんのように新しいビジネスを始めるきっかけになるかもしれません。

LITORA編集部

自分らしい生き方を見つけたい。大好きなものに囲まれる生活をしたい。暮らしや仕事、オシャレも美容も恋愛も“自分らしく心地よく”を軸に自分のライフスタイルに合わ...

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