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【2】就職試験での運命的な出会いと、企業戦士時代に立ちはだかった壁とは?:渡部久美子さんインタビュー

インタビュー

3人のママで起業家の渡部さんの学生時代は、アーティストたちと過ごす世間知らずの女子大生だったとか。流されるままに就職試験を受けた先で、ある面接官との出会いにより、運命が開いていきます。その後、会社員となりますが、そこでは男性社会で奮闘する女性企業戦士ならではの試練も待ち構えていたようです。

「社会人になりたくない」とアーティストに憧れた大学時代

―学生時代は、どんな学校生活を送っていたのですか?
「実は、もともと会社員にはなりたくなかったんです。大学4年生の時の先生がかなり個性的な方で、周りもアルバイトをしながらアーティストを目指している人たちに囲まれていて、とても楽しかったので。

電車に乗っていると、スーツを着た会社員がつまらなさそうにうつむいていて、それを見るたびに嫌だなと思っていました。それに比べ、アーティストたちは、定職には就いてないけど夢を語れて、キラキラしていました。当時の彼氏もバンドマンで、彼を応援していたんです」

―では、就職する気もなかったということですか?
「はい。社会人になりたくなくて、舞台女優をしていたので、就職活動もしていませんでした。ところがある日、盲腸になったことに気づかず、死ぬ寸前までいっちゃいまして。その入院費用が、自分の小遣いで払えないと知った瞬間、頭の中で雷が落ちました。アーティストに憧れていたけど、自分が病気になった時、親に頼らないとダメだなんて、すごくカッコ悪いと思い、大学4年生の1月から就活を始めました」

就職試験でいきなり面接官に逆質問してしまう

―大学4年生の1月に就活と、かなり出遅れましたが、そこからソフトバンクを受けたのですか?
「親友がすでにソフトバンクの内定をもらっていて『久美ちゃんが受かったら一緒に通えるね。私が履歴書を書いてあげるから、写真だけ撮ってきて』と言ってくれたので、スピード写真でピースした写真を撮ったら『スーツじゃなきゃダメ。ピースもダメ』と叱られました。本当にダメな子だったんです(苦笑)」

―今の渡部さんからは想像もつきません。それでソフトバンクを受けに行ったわけですね。
「はい。面接に行ったら会場に本が置いてあり、表紙に『孫』と裏に『正義』と書いてあったので、うっかり高齢福祉の会社だと思ってしまいました(笑)。あとで『孫正義』をググったら、Wikipediaに載っていてびっくりしたんです。何も知らなかった私ですが、当時デイサービスでボランティアもしていたので、そこをアピールして最終面接まで行きました」

―それはネタとしてかなりおいしいですが、その後、どうなったのですか?
「面接が一通り終わったあと『何か質問はありますか?』と聞かれたので、私は正直に『この履歴書は私が書いてないし、どの学生もほとんどコピーで、会社名だけを変えて出していると思います。でも、面接官の方は何を見ているんですか?電車に乗った社会人はみんな暗いけど、あなたに夢はあるんですか?』と逆に質問をしたんです」

―ある意味、面接官に喧嘩を売った形ですが、どんな答えが返ってきましたか?
「その面接官が『私はコールセンターの責任者をやっていますが、そこではアーティストとして頑張っていたり、夢を追いかけたりしているフリーランスの人がいっぱい働いています。僕はそういう彼らの職場を作っていて、彼らの夢が実現することが僕の夢です』と言われました。その瞬間、負けた……!と思いました。ロックオンです」

―面接官のほうが一枚上手だったということですね。
「面接が終わったあとで、無礼なことをしてしまったと反省しつつ、自分はきっと落ちると思ったので、握手させてもらいました。次の日、その方から電話が入り『僕は数百人以上に面接をしたけど、握手をしたのは君が初めてでした。合格です』と言われて、ええ!となって。その方がソフトバンクに入社したあと、最初の上司となりました」

入社後に立てた将来設計はすべてクリア!

―ソフトバンク入社後は、どんな目標を立てましたか?
「新人研修が終わった日、あなたが5年後にどうなりたいのかをプレゼンしてくださいと言われ、3つの夢について語りました。1つ目は、会社の管理職になりたい、2つ目は20代で結婚したい、3つ目は35歳までに子どもを2人産みたいというものでした。当時はまだ女性の管理職はいませんでしたが、職場の環境をより良くするためには、自分が偉くなることが近道だと思ったんです」

―その目標はすべてクリアできたわけですね。
「意地っ張りなので、どうすれば叶えられるかを考えて頑張りました。それで、いろんな人と恋愛したあと、20代で結婚。スピード出世もさせていただき、20代で管理職となりました。そして、30歳で一子目を、33歳で二子目を産めたのは、本当にラッキーでした」

会社時代に立ちはだかった最大の壁と起業した理由とは?

―会社員時代に一番大変だった壁についても聞かせてください。
「いっぱいありますが、一番は“女”という壁でした。今のソフトバンクなら違うと思いますが、私がいた時代は男社会で、女であることによる弊害を一番経験しました。あと若さもそうです。自分よりも年上の男性に指示を出さなければいけなかったので。スキルや知識は勉強して蓄えられるけど、性別や年齢は詐称できないので、そこは苦しみました。でも、ありがたいことに先輩には恵まれ、無事に管理職になることはできました」

―会社を辞めて、起業するという決断をした理由とは?
「1つは、会社で出会った主人の影響です。彼は起業を目指して、週末のセミナーにも通って頑張っていたので、私もセミナーに通うことにしました。2つ目は、自分がもっと頑張りたかったからだと思います。私は毎日200%で生きていると思っていましたが、まだ不完全燃焼だと感じていて。33歳で第二子を生んだあと、当時のスピード感で生きていくのは嫌だなと思って、退社する決意をしました」

≪まとめ≫自分の信じた道を行くパワフルさが人生を切り開く

渡部さんご自身が「ネタにしています」と笑いながら話してくれた就職試験の武勇伝は、聞いていて胸が躍りました。きっと渡部さんは常に自分の心に正直な方で、そのエネルギッシュな考え方が、いろんな人々の心を捉えていった気がします。そしてソフトバンクに入社してからも、明確な目標を設け、そこに邁進していったという有限実行ぶりがすばらしいです。

次回は、渡部さんから、ご主人と二人三脚での子育て術や、夫婦円満の秘訣を教えてもらいます。

LITORA編集部

自分らしい生き方を見つけたい。大好きなものに囲まれる生活をしたい。暮らしや仕事、オシャレも美容も恋愛も“自分らしく心地よく”を軸に自分のライフスタイルに合わ...

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